ぐぐるなかす

インターネットができて、スマホが世の中に広まったことで、便利になった。世界中の人が情報を発信できて、それを知ることができる。

ググレカスというのは、検索すればわかることなのでいちいちすぐ人に聞くなという意味だった思うけど、はじめは敢えてぐぐらずに考えてみることも良いんじゃないかと思う。

 

何かわからないことや問題があったとき、自分はまず検索して、直接答えを探したり、問題解決の方法や周辺知識を十分確保して、それでも答えを探せなかった時、はじめてそこで推論したり、解決方法を自分の頭で考えてみる。ようになってしまってる。世界には自分より賢い人がたくさんいて、親切な人が出し惜しみなく情報を発信してくれてるので、大概の場合、検索しただけでピンポイントで答えにいきつけてしまう。それって、学校でいうと問題みたらすぐに後ろの回答みるようなもので、それが良いのかどうかはわからないけど、自分の頭で考える時間や機会というのが以前より少なくなってるんじゃないかなと思う。

脳みそは、使わない部分は退化したり機能が衰えてしまうというので、スマホやネットが世間に出て来る前の人間と比べると、結構な人の脳みその一部分は退化してるんじゃないかなと思う。ただ、こういう時代においても、道なる領域や世の中にない新しいものについて考える機会を常に持ってる人はそうならないと思うので、その点の能力で以前より格差がついてしまうのじゃなかろうか。

 

検索すればわかることを検索もせずに見当ハズレなことを発信すると恥ずかしいと思う気持ちもある。あと、考えてから喋れというのは、安直に思ったことをなんでもかんでも口にするなというような意味だったと思うけど、まぁ、そのほうが良いとは思うけど、考えすぎて喋るのを怖がってる人もいる気もする。

何が言いたいかというと、新しいことについて考える機会を設けることはよいことなんじゃないかということで、仮にそれが世の中にとって既知のもので新しいことでなくても自分にとって未知のものならばトレーニングとして一旦自分で考えてみる機会をたまには設けても悪いことじゃないし、時間はロスするかもしれないけど。と思う。また、自分が考えたこと思ったことを検索せずにそれを発信することもそれほどわるいことじゃないとも思う。世の中に出回ってる答えと違うカッタとしても、それほど恥ずかしいことじゃないよと思う。だって、出回ってる答えが必ずしもベストで正しいものとは限らないこともあるしね。

 

文字をきれいにかけること、暗算が早いこと、重要性が大昔より乏しくなった。

知ってることの重要性も乏しくなった。物知り博士とかいうのも死語だね。

AIスピーカーとか出てきてるけど、検索して分かる程度の解決方法や検索する能力も必要なくなっていくだろうね。ググれ粕でなくて聞けよ粕になるのかな。

ほんとのほんとの最後は、未知なる領域やイノベーションもAIが考えて行ってくれるようになるんだろうね。AIのIQって4000らしいよ。人間が人間を知識的に馬鹿呼ばわりしてるのって悲しくなるね。

まあ、とにかく

大小に関わらず、新しいことについて考えて、怖がらずに行動する癖を常日頃から持っていきたいと思った次第。実際にリスクを伴う行動を起こす場合は十分に吟味する。やるやらないかではなくて、やる方向を前提で吟味する。やるやらないかで吟味すると結構な割合がやらないという結果になるので、そうなるとチャレンジする機会や幅も狭まってしまう。だから、やる前提で考えて、ムダで過剰なリスクは減らすかコントロールできる範囲に制限して、そしてやる。それが世間にとってはあたりまえだとか未知だとかそういうのは二の次でもいいと思う。世間にとっても未解決の問題に取り組んだほうが社会的な意義は大きいだろうし、経済的なリターンも大きいだろうけど、。経済的には余裕があったほうがいいけど、資産たくさんんあるなしっていうのも徐々に重要性なくなってきてるような気もするんだけど。その話はまた別の機会にして。

最後に、持続的な努力や労力を必要とするチャレンジのときは、折れない心を維持するために強めの動機づけも忘れずにと。

 

さて、本日一つ目のチャレンジ終了。

自己検閲なしで、思って考えたこと書いた。腹減った。

“8つの知能(MI)”で自分の可能性を見つめ直す

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