カゴメ

 

 

 

最近、スーパーの店頭にカゴメの生鮮トマトが並ぶようになった。ジュースやケチャップといった加工食品とは勝手が違う。それでも自社栽培に乗り出した「トマト野郎」の目論見とは――。
10年以上の赤字に耐え続けた理由とは

枝を伸ばしたトマトの株が、見渡す限りに連なっている。濃い緑の葉、無数の赤い実と青みがかった実とが、ガラス窓から入り込む陽光に照らされ、それぞれに輝いていた。株の数は約30万本。平均台のような何列もの畝が、約200メートルの長さで並ぶ。その光景からは、「植物工場」という言葉を確かに想起させられた。

カゴメの子会社として生食用トマトを生産している「いわき小名浜菜園」は、福島県いわき市の工業地区にある。関東に向かう基幹道路・常磐バイパス沿いにあるため、周囲には物流倉庫が建ち並ぶ。そのエリアで広さ10ヘクタール、高さ6メートルのガラスハウスは一際異彩を放っていた。

エアカーテンを通り、靴底を消毒して中に入ると、温室内は明るく、すこし暑い。スピーカーで音楽が流されるなか、女性を中心とした約200名の従業員が手際よく作業を行っていた。

小名浜菜園の永田智靖代表が言った。

「エリアは4区画に分かれ、それぞれに班長がいます。その他にグロワーと呼ばれる社員2名が病害虫の発生や発育状況を常に確認し、日々の作業の方針を決める体制をとっています」

いわき小名浜菜園。(1)ガラス温室はオランダ製。10haに約25万本のトマトが植えられている。(2)従業員数は約200人。(3)いわき小名浜菜園の永田智靖代表取締役。(4)袋ごとに手で重さを量る。

カゴメがこうした大型施設を使ったトマトの生産を始めたのは1999年、茨城県小美玉市美野里菜園」が最初だ。小名浜菜園の操業開始は05年で、全国11カ所ある大型施設のなかでも、最大の規模となっている。生産量は年間3500トン。1つの温室では10カ月連続で収穫ができ、4つある温室の入植時期をずらすことで、1年を通じて生産を続けることができる。

政府の後押しをうけて、企業の農業参入が増えるなかで、「植物工場」への注目も高まっている。こうした小名浜菜園に代表されるカゴメの大型施設は多くの企業が視察に訪れる場所になっている。

ただ、ここで付け加えておきたいのは、カゴメの生鮮事業が参入から10年以上ずっと赤字だったという事実だ。2012年度から黒字化し、13年度には過去最高となる97億円を売り上げたが、道のりは険しかった。

カゴメの菜園は、農業先進国のオランダの施設を導入したものだ。室内の温度、ガラス窓の開度といった環境は全てコンピュータによって一定に保たれ、日射量に応じて水の量や肥料、光合成に必要な二酸化炭素の濃度も自動的に調整される。最新のテクノロジーにより、「工場」のように安定した収穫が見込める、という触れ込みだった。しかし計画通りにはいかなかった。

「天候が異なる日本でこの施設を使いこなすためには、トマトとしっかり会話のできる人材を育て、職員の効率的なマネジメントを確立させる必要がありました。実際にここでまともに生産ができるようになるまでに5年かかった。それまではトライ&エラーの連続だったんですよ」(永田代表)

では、カゴメはなぜそうまでして生鮮事業にこだわってきたのだろうか。寺田直行社長に聞くと、「その間に事業の撤退を望む声は社内に全く聞かれなかった」という。

カゴメという会社はそもそも農家から始まった企業。特にトマトについては、うちがやらなくてどこがやる、という思いを常に持ち続けてきたんです」

国産ブランドを培う「契約栽培」の伝統

かつて「トマト翁」と呼ばれた男がいた。蟹江一太郎――カゴメの創業者である。1875年、蟹江一太郎は愛知県知多郡荒尾村(現東海市荒尾町)の農家に生まれた。彼がトマトの栽培を始めるのは1899年。兵役を終えるとき、上官にかけられた次のような言葉がきっかけだったという。

「これからの農業は、これまでのように米麦をつくることのみ専念していたのでは、いかに額に汗して働いても発展や向上は期し難い。だから、たとえば西洋野菜のような将来性のある作物をてがけるなどの工夫をして、農業の在り方を今日の時代に即したものに変えてゆかねばならない」(社史より)

彼はこの言葉に促され、キャベツやレタス、タマネギ、ニンジンといった西洋野菜の栽培を手掛け始めたのである。

だが、その中でトマトを好んで口にする日本人は皆無だった。もともとは江戸時代に観賞用として持ち込まれた植物であり、当時の品種は匂いもずっときつかった。人は青臭い匂いの漂うトマト畑の前を、鼻をつまんで通り過ぎる程だったという。

蟹江一太郎の創業者たる所以は、大量の在庫を見ても栽培を諦めず、ホテルなどの料理人に学んでトマトの加工を試みたところにある。自宅の納屋でトマトを刻み、熱を加える。すると次第に青臭さは消え、旨味成分が引き立てられた調味料やソースとなった。国内でトップシェアをもつ「トマトケチャップ」の原点には、そのような創業の歴史がある。

商品企画部の稲垣慶一部長は言う。

「そうした加工商品を外国人が多い高級ホテルに売りに行ったことがカゴメの最初の一歩になった。昭和8年に発売したトマトジュースも、アメリカに視察に行った社員が現地で売っているのを見て作ったものでした。海外の食文化を日本に翻訳し、定着させる手法はカゴメの伝統でしょう」

また、カゴメの大きな特徴に「契約栽培」という仕組みがある。同社は日本全国に加工用で700軒、生食用で400軒の契約農家を持ち、全国に散らばる「栽培技術グループ」の社員が栽培指導やアドバイスを行っている。これも蟹江一太郎の時代から続く手法で、同社のストレートトマトジュースは全て純国産となっている。生産量の良し悪しにかかわらず契約農家のトマトを全量買い取り、安定した収入を保証することで、トマトの安定的な入手先を確保しているのだ。


「野菜ジュースなどに輸入トマトを使用する一方で、濃縮還元ではないストレートのトマトジュースを契約栽培による純国産で作ることには重要な役割があると思っています」と栽培技術グループの石田信一郎課長は話す。

「トマトと言えばカゴメ――というブランドは、野菜ジュースや生鮮野菜を売っていく上での信頼につながっているはずです。その意味で契約農家の確保は、私たちにとってカゴメというブランドを支える社の根幹にかかわる仕事だという気持ちがあるんです」

現在、カゴメの売り上げの約半分は野菜ジュースの製造販売によって占められている。稲垣が開発したヒット商品「野菜生活」にはトマトが入っていない。だが、寺田社長を筆頭に社員の末端にまで浸透しているのは、それでも社の核には常にトマトに関する事業があるという認識なのだ。

農事業企画部長として生鮮事業を担当する藤井啓吾執行役員は「企業の農業参入が盛んに言われているが、もともと農家だったカゴメは『農家の製造業参入』の会社。その意味で植物工場への進出も自然な成り行きだった」と話した。

もちろん生鮮事業への進出は、そうした歴史的な背景だけでなく、経営上の目算があって具体化されたものだ。「そもそも日本におけるトマトの需要はまだ発展途上にあり、かなり大きな可能性を感じているんです」

藤井啓吾執行役員が現状を語る。


世界のトマト消費量を見ると、平均が年間1人当たり約20キログラムであるのに対して、日本では9キログラムと倍以上の差がある。これは日本ではトマトをサラダとして生で食べることが多いのに対し、海外では煮込み料理の「だし」として使うことが多いためだ。食文化の多様化や西洋化が今後さらに進んでいけば、日本の消費量もいずれは世界平均に近づいていく――それが彼らの基本的な認識である。全国に11カ所ある大型施設での生産を筆頭に、カゴメは年間60万トンの生食トマトの需要のうち1万4000トンを生産しているが、彼は「まずこのシェアを10%にまで高めることを当面の目標としている」と続けた。

「全社で約1930億円ある売り上げのうち、生鮮事業はまだ5%程度の規模に過ぎません。これを8年後までに400億円の規模に引き上げたい。このうち生鮮トマトが270億円。残りはトマト以外の野菜です。すでに他社との資本業務提携も進め、ベビーリーフやニンジンの生産を始めています。ほかの野菜にもカゴメのブランドを拡げていきたいと考えています」