めも

潜在成長率 高められるか(上)
高齢化・人口減集中対応を 池尾和人 慶応義塾大学教授

2015/6/8付
日本経済新聞 朝刊

 

 

今年度の日本経済は、原油価格下落の恩恵もあり、順調に拡大を続けていくと見込まれる。2015年度の実質経済成長率に関する民間エコノミストの平均予想値(5月のESPフォーキャスト調査)は1.7%で、日銀はさらに高い2.0%を予想している。

これは、現在0%台前半とみられている潜在成長率をかなり上回るものであり、早晩日本経済は再び需要不足状態を脱して、供給制約に直面することになると考えられる。そして供給制約に直面した後は、潜在成長率を上回る経済成長を持続していくことは困難になる。問題は、潜在成長率がきわめて低位だということだ。その基底には人口減少・高齢化の進展があり、それに正面から対処して、成長力強化を図る取り組みがますます重要になるといえる。

 この20年間の多くの期間で日本経済は、需要不足の継続(マイナスの国内総生産=GDP=ギャップ)と、潜在成長率の低下を同時に経験してきた。この2つの事象の間には双方向のフィードバック関係が存在すると考えられる。

 まず、需要不足が潜在成長率を押し下げるという関係として、ヒステレシス(履歴)効果が挙げられる。例えば、需要不足の結果、長期間失業状態を強いられていると、その間に労働者の技能が失われることになり、その後の潜在成長率引き下げにつながるといった状況が該当する。

 わが国については、需要不足によるデフレ傾向の継続が企業の設備投資などの活動を抑制することになり、潜在成長率の低下につながったという見方がある。日銀の黒田東彦総裁は、最近そうした見方を強調しており、デフレ脱却が確実なものとなれば、投資が誘発されるため、成長力強化にもつながると主張している(3月の日本外国特派員協会での講演など)。

一方、潜在成長率の低下が見込まれることが足元の需要抑制につながるという逆の関係も考えられる。すなわち潜在成長率の低下は(1)恒常所得(将来にわたり得られるであろう平均的な所得の大きさ)に関する期待値を引き下げる(2)あるいは社会保障制度の持続可能性についての不安を高める――ことになり、人々に予備的貯蓄を促す。その分だけ現在の支出は抑制される。

 これらの両方向の関係のうち、いずれの効果が支配的であるかは、供給制約に達した後のアベノミクスのあり方に直接かかわる問題である。もし前者が支配的であれば、引き続き第1と第2の矢も積極的に推進すべきだということになる。そうではなく、後者の効果が支配的であれば、政策資源には限りがあることから、第1の矢と第2の矢は後景に退き、第3の矢の「成長戦略」に全面的に注力すべきだということになる。

 成長会計的には、よく知られているように、経済成長率は労働投入増加による貢献、資本投入増加による貢献、全要素生産性(TFP)の上昇による寄与の和になる。図に示したように、1970~80年代には労働投入による貢献も大きかったが、それと並んで資本投入増加による貢献やTFPの寄与も大きかった。それゆえ、労働人口の減少で前者が減少しても、後二者が当時のような水準を維持すれば、人口減少下でも経済成長は可能だということになる。

 しかし筆者自身は、一般的な需要刺激策により資本投入を増加させ、潜在成長率を高める余地はあまり大きくないと判断している。すなわち、人口減少傾向を乗り越えて持続的に需要の拡大が見込めると期待されるようにならない限り、企業が能力増強につながるような設備投資に本格的に踏み切ることはないとみている。ただし、労働供給制約が一段と強まると、省力化のための投資が誘発される可能性はあると考える。

 また吉川洋・東大教授は、「先進国で経済成長を生み出すものは、人口ではなくイノベーション(技術革新)である」(5月20日付本欄)と指摘し、人口減少・高齢化という環境変化をTFPを高めるイノベーションの源泉にすべきだと主張している。これは全くの正論である。もっとも、人口動態とイノベーションは関連した現象でもあり、そのために克服しなければならない困難は大きいことも、同時に認識する必要がある。

 最近、ロン・スミス・ロンドン大教授らのグループは、人口構成の変化とマクロ経済の中期的な動向に関する実証的・理論的研究を発表した。それによると、異なった年齢の集団は、いくつもの経路を通じてマクロ経済の状態に影響を及ぼす。例えば、年齢の異なる集団は、経験の差などから生産性が異なっている。また、「ライフサイクル仮説」から知られるように貯蓄行動にも違いがある。

 注目すべきは、年齢の異なる労働者は、イノベーションに対する貢献度においても相違があるという点だ。きわめて率直な言い方をすると、若者は先取の気概に富み、変化を受け入れることに抵抗が少ない傾向があるのに対して、年齢が高くなるにつれて柔軟性を失い、新しいものを受け入れにくくなる傾向がある。

 もちろん個体差は大きいとしても、このような年齢による傾向は、高齢化がイノベーションに対して抑制的な効果をもつことを意味している。前掲のスミス教授らのグループの研究は、経済協力開発機構OECD)諸国の70~07年のデータをもちいて、実際にそうした効果がみられることを立証している。

 従って、イノベーションにより成長できるというのは正しいが、高齢化自体がイノベーションに対して抑制的な効果をもっており、そうした逆風を相殺して余りある強力なイノベーション振興策がとられなければ、やはり成長は難しいということになる。しかし現行の成長戦略は、それだけ強力な振興策たり得ているとは言い難いのではないか。

 日本の現状にあった成長戦略を組み立てるには、人口問題に正面から焦点を当てることが必要だ。そうした観点から翁邦雄・京大教授は近著で、後期高齢者の健康維持(健康寿命延伸)のための対策を集中的に講じるという成長戦略を提案している。高齢者が健康であり続ければ、減少する労働力を介護にとられて、他の用途に投入できなくなるという問題の軽減につながる。

 それだけでなく、健康寿命の延伸に関しては、医療技術の革新や新薬、介護ロボットの開発といったイノベーションが不可欠であり、そうしたイノベーションの成功は膨大な需要の創出につながる可能性がある。大きな需要が持続的に見込めるのであれば、設備投資も誘発される。

 換言すると、医療、介護、健康産業といった分野では、資本投入増加による貢献とTFPの寄与を高める余地が十分に存在している。そうした余地をフルに生かすために、政府が支援をしたり、規制緩和により民間企業が活動しやすい環境を整備したりすることを成長戦略の中軸としていくことが考えられる。

 もちろん、医療機械の国際競争力強化などについては、既に政府の成長戦略にも盛り込まれている。しかし現行の成長戦略は総花的で、集中的に努力が傾けられているわけではない。既述の逆風を克服するには、政策資源の分散投入は回避しなければならず、成長戦略は人口問題に全力投入する方向で見直されていくことが必要であろう。

潜在成長率高められるか(下)
政府債務削減、長期で寄与 二神孝一 大阪大学教授

2015/6/10付
日本経済新聞 朝刊

 

日本の現実の経済成長率および潜在成長率は1970年代以降傾向的に低下し、21世紀に入ってからは低い水準で推移している。これは多くの先進資本主義国に共通する現象であり、長期停滞論も登場している。本稿では経済成長の源泉として公共資本と技術進歩の2つを取り上げ、経済成長低迷の問題を考察する。

効率的な道路交通網、港湾システム、衛生管理システムなどの生産的な公共資本は経済活動の円滑な実施に不可欠だ。公共資本を経済成長のエンジンと考えたとき、潜在成長率を上昇させて経済を成長軌道に乗せるための障害となるのは巨額の政府債務だ。

 日本の政府債務残高は先進資本主義国の中で最悪の水準にあり、2014年に国内総生産(GDP)比で240%を超えている。イタリアの132%はもちろんのこと、ギリシャの177%をも上回っている。こうした状態で公共投資への政府支出を増やすのは非常に危険である。

 政府は、基礎的財政収支を20年度までに黒字化し、債務残高のGDP比を安定的に引き下げるという目標を掲げている。その一方で、アベノミクスの3本の矢の一つとして国土強靱(きょうじん)化の掛け声の下で公共投資が増額されている。2つの政策は矛盾しているように思える。

 そこで、日本と同じように財政赤字と巨額の債務残高に苦しむ欧州連合(EU)諸国ではどのような対応がなされているかみてみよう。

 EUはマーストリヒト条約の中で、債務残高のGDP比を60%以下に抑えることを約束しており、加盟国はこの条約に拘束されている。さらに財政赤字はGDPの3%を超えてはならないというルールも定めている。また、11年には「安定と成長に関する協定」を改定して、債務残高のGDP比が60%を超える加盟国は目標値との乖離(かいり)分を毎年12分の1ずつ縮めていくことと定めている。EUの多くの国では政府支出の削減でこれに対応している。公共投資も削減されることになるので、潜在成長率を低下させ経済成長に対して負の効果を持つことが予想される。

 筆者は堀健夫・青山学院大学准教授、前林紀孝・北九州市立大学講師とともに、こうした削減ルールの下で財政削減を進めることが経済成長にどのような影響を与えるかについて、ギリシャを念頭に置き、共同研究した。その際、公共資本を成長のエンジンとするモデルを用い、計算にあたって初期の債務残高のGDP比はギリシャの08年時点の値(113%)に設定した。

 図表のギリシャ文字φ(ファイ)は削減の調整速度で、φ=0.05は目標値と現状の乖離を毎年5%だけ縮めることを意味し、値が大きいほど調整速度が速いことになる。

 第1段階として、政府支出削減のみで債務残高を削減する場合を分析した。上の図は、債務残高のGDP比の目標値を60%に設定した場合に想定されるギリシャの1人当たり消費の伸び率の時間に伴う変化を示す。調整速度が速いほど初期の伸び率の落ち込みは大きいが、長期的にはより高い伸び率を達成できることが分かる。削減の速さと削減幅が、消費から得られる効用で測った経済厚生(社会全体の満足度)に与える影響も分析した。債務削減により、民間部門が利用できる資源が増加し、経済厚生を改善する。

 また、下の表が示すように、削減のスピードは速い方が経済厚生の改善度は大きく、削減幅は大きい方が経済厚生をより大きく改善させる。

 さらに第2段階として、増税と組み合わせる方式と比較したところ、政府支出の削減のみで債務を削減する方がより大きな経済厚生の上昇を達成するという結果を得た。つまり、公共投資増加の足かせになっている巨額の債務の削減を先送りするよりも、痛みを伴うとしても、初期に大胆かつ速やかな債務削減を検討すべきことを研究は示唆している。EUのように政府を縛る明確なルールづくりも求められているといえる。

 ただし、ここでは無駄な公共資本は前提としていないことには注意が必要だ。あくまでも民間資本の生産性に貢献する公共資本が重要である。

 次に、技術進歩の視点から考察してみる。よく知られるように、1人当たりの経済変数(1人当たり消費など)は技術進歩率(全要素生産性=TFP=の上昇率)で成長する。経済厚生にとって重要なのは1人当たり変数なので、今後、技術進歩率がどう推移するかは重要な意味を持つ。

 経済成長理論において技術進歩がどのように達成されるかについては、次のように考えられている。研究開発に投入される資源の水準、研究開発者の数によって研究開発のスピード、技術進歩率が決定される。従って現在の日本で進行している高齢化は、技術進歩に大きな影響を与える。

 高齢化は2つの相反する効果を経済成長に対して持っている。1つ目は高齢化の進行で現役の労働者数が減ると研究開発に投入される労働量も減少するので、技術進歩を停滞させる要因となる。また、年齢とともに新しいアイデアや革新的な生産方法を考え出すことが困難になる可能性があり、高齢化の進行で研究開発の成果が出にくくなることが予想される。すなわち、高齢化は技術進歩のスピードを鈍化させる効果を持つ。

 その半面、高齢化は経済成長を促進させる可能性も持っている。高齢化の進行で貯蓄をしない引退世代が増えるので、経済全体の貯蓄は減少するといわれる。一方で、寿命が延びて引退後の期間も長くなれば個人はそれに備えなければならないので、勤労世代の貯蓄は増加する。すなわち、老年世代の貯蓄の低下と勤労世代の貯蓄の増加のどちらが大きいかで、経済全体の貯蓄の変化が決まる。経済の持続的な成長を前提とすると、後者が上回ることになり、設備投資や研究開発投資を増加させて経済成長を促進する。

 こうした負の効果と正の効果の影響の大きい方が、経済成長への影響を決定する。

 では、技術進歩を加速させる政策とは何か。アベノミクスの第3の矢は「民間投資を喚起する成長戦略」であり、イノベーション(技術革新)の促進が求められている。民間企業の研究開発に補助金を出すこと、大学などの公的機関と民間企業の連携を強める政策を実行することが必要だろう。しかし、日本政府が支出する科学技術予算のGDP比率は先進資本主義国の中では低い方だ。10年時点で韓国よりも低いことを考えると、政策の実効性に疑問が残る。

 また、政府の産業競争力会議では政府支出の効率的使用のため、国立大学について(1)世界最高水準の教育研究重点支援拠点(2)特定分野重点支援拠点(3)地域活性化・特定分野重点支援拠点――の3類型に分け、研究大学を特定化することが議論されている。しかし、先端医療など支援すべきことが明らかな分野以外は、何が重要な研究分野なのかについて政府などが判断することは困難だ。重点化によるメリットもあるが、研究体制の裾野の広がりをなくすことのコストも議論すべきだろう。

 いま必要なのは、科学技術予算の全体としての増額と、先進医療など積極的に支援する分野への予算の重点配分である。しかし、巨額の債務残高の存在はそのような政策の促進を阻んでおり、早急な債務残高の削減が求められる。