TAKAHASHI

高橋是清


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■経歴
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高橋 是清(1854年- 1936年)
日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際には日銀副総裁
1911年(明治44年)に日銀総裁となる
1927年(昭和2年)
3月: 金融恐慌はじまる。
4月: 田中義一内閣の大蔵大臣に就任(3度目)、3週間の支払猶予を認める緊急勅令渙発と大量の紙幣増発で恐慌を沈静化させる。
6月: 金融恐慌が終息したのを節目に大蔵大臣を依願免職。

1931年(昭和6年)、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止(12月13日)・日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額等で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた(リフレーション政策)。
1933年 米国でニューディール政策、ドイツでナチス独裁が確立。
1934年(昭和9年)、リフレーション政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく(出口戦略参照)軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件


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■金解禁から金輸出再禁止までの流れ
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1929年金解禁の目的は、物価水準を押し下げ、デフレと財政緊縮によって一時的に経済状況が悪化しても、問題企業の整理と経営合理化による国際競争力の向上は進み、金本位制が持つ通貨価値と為替相場の安定機能や国際収支の均衡機能が発揮されて、景気は確実に回復するはずであると考えたもの。
為替相場は当時の平価とされた100円=49.875ドル(1ドル=2.005円)を大きく下回る円安水準であった
為替相場は、関東大震災時1923年の100円=38ドル前後(1ドル=2.630円前後)を最安値として、1928年には100円=44ドル前後(1ドル=2.300円前後)で推移していた)
ものが、「旧平価による金解禁の実施」によりドル円為替への介入が行われ、100円=48ドル台までドル安円高が進んだ。

1929年10月24日のNY株式市場が大暴落(暗黒の木曜日
この1930年に入ると、アメリカの恐慌が日本国内に影響を及ぼすようになった。
日本経済は収縮し、円高により輸出企業は大打撃を受けたが、さらなる歳出削減策を行う政府の政策は金融界からは支持を得た。
1931年9月にイギリスが金本位制から離脱し、イギリスの通貨ポンドは大幅に下落した。
それをうけ日本もいずれ金本位制を離脱するとの思惑からシティバンクや大手財閥を中心とした資金の国外逃避や投機的な円売りドル買いが活発化した。
それに対し、政府は、為替統制売り(無制限にドルを売って為替相場の維持を図る)で応戦した。
 (国外にある日本政府保有の金を売却してドルを確保し、円買いドル売りを行い水準を維持する)

金輸出禁止は、円の下落を許容する政策で、1931年12月に犬養内閣が発足して高橋是清が再度大蔵大臣に就任すると、その日のうちに金輸出を禁止した。
それにより、ドル円は、1ドル2.025円から1年後には1ドル5円まで下落した。
この間の為替変動により、大きく利潤を得た財閥系銀行に対し、世論の非難が高まり軍部の対外進出路線への支持に転化する一因となった。

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1930年台における国債の日銀引受
http://www.nri.com/jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050702.pdf
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高橋是清は、為替相場の乱高下や国内金利上昇を抑制するために、外貨証券や海外不動産などの購入制限を内容とする資本逃避防止法を1932年7月に制定した。
「国内正貨保有量を遥かに超えて多量の通貨を供給せんとする方策を樹てた以上、我が対外為替の下落は当然のことであった。
従って資本逃避の風が見え、さらに低金利を徹底せしめんとすれば、資本逃避の傾向がますます助長されるのは経済法則上免れ難いところであった。
そこでまずその防止方法として資本逃避防止法や為替管理法を制定し、十分この方面の工作を行い、然るに後低金利政策を進めることにしたのである」
また、国際の大量発行に備え、その消化環境の整備の一貫として低金利での日銀による国債担保貸出しと国債の価格評価を簿価評価とした。

 

jp.wsj.com

 

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 白川方明日銀総裁は在任時の2011年に高橋の政策を英語で「苦い経験」と評した。白川前総裁の慎重な政策姿勢を打ち破るべく安倍首相に登用された黒田東彦現総裁は、高橋財政は「昭和恐慌からの脱却に大きな成果をあげた」と語った。
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高橋は当時大蔵省の管轄下にあった日銀に、新発国債を直接買い入れさせた。

現代の中央銀行は政府の赤字を直接まかなうために紙幣を印刷していると批判されることを恐れ、市場から既発債を買い入れている。

 高橋財政のような大胆な施策を講じて2年がたつが、「アベノミクス」はまだ高橋財政のような成果を挙げていない。苦戦している一つの理由は、デフレ克服と同時に債務削減にも焦点を合わせていることにある。

2020年までに基礎的財政収支の黒字化を達成するという公約を維持するならば、この程度の財政緊縮策では到底済まない。ただし、日銀がこれ以上の借金を背負うならば別だ。財務省は財政健全に向けて増税歳出削減の組み合わせを進めようとしている。一方、安倍政権の中枢は主に、成長を促して歳入を増やす政策に頼るべきだと主張している。これは日銀が大量に債券買い入れを続ける前提で初めて考えられる戦略だ。

 

 

jp.wsj.com

 

日本経済研究センターの左三川郁子主任研究員によると、2014年10-12月期に日本国債を買い越したのは日銀だけだった。代表的な買い手である銀行や年金、保険会社などは国債を売り越していた。

 

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いま日銀の障害になっているのは高齢化だ。日本は世界有数の高齢社会で高齢化が最も急速に進んでいる。こうした高齢層も財政資金に頼っている。日本の公的債務が急速に膨らんでいる最大の原因がここにある。年金給付額が増える一方、就労している納税者数は減っている。2020年までには65歳以上が日本の人口の29%を占めるようになるが、この高齢層が選挙や政策判断に与える影響力は、その数をはるかに上回るものとなるだろう。

 元日銀金融研究所長で現在京都大学公共政策大学院教授の翁邦雄氏は、「高橋財政は短期的に見れば合理性があり有効だった。しかし、財政膨張のインセンティブを強めたという長期的観点から見ると、やはり禍根を残した」と述べた。現在の日銀も同様に「財政、社会保障、そういうものに対して、非常に再建意欲を弱めてしまっている。そういうことに危機感を感じない状況を作り出している大きな要因になっている」とし、「問題はどうすればこれを解消できるかだ」と指摘した。